Week 40, 2025
🗞 今週のヘッドライン(2025年9月28日〜10月4日)GPT-5.icon
文野環が3D新衣装お披露目配信を実施 (2025-09-28)
物価3%時代へ、利下げ観測後退
金融市場では物価上昇が注目テーマに。3%のインフレを前提に価格形成が進み、消費の強さから利下げ停止がサプライズ視された。 (2025-09-28)
Google、「現実世界に目を持つ」AI構想を発表
現実空間の認識をAIに統合するプロジェクトが話題に。実世界を読み取る新たなUXアーキテクチャの胎動。 (2025-10-03)
OpenAI「Sora 2」・Anthropic「Claude Sonnet 4.5」登場
Sora 2の招待配布が始まり、Claude 4.5も正式リリース。生成AI競争が再び加速。 (2025-09-30〜10-03)
『ヘアピンまみれ』の本を予約 (2025-10-02)
UX > UI論争再燃、「UIはUXをカバーできない」
Rebuild.fm 415 を契機に、見た目よりも体験を重視する潮流が再評価。 (2025-10-04)
法学トピック:信義則と無権代理を再考
「権利があっても行使できない」場面に注目し、法思想的制約を整理。 (2025-09-30)
思想メモ:「信頼できない政府とは何か」
政府を“思想集団の対立構造”として捉える試み。器の問題ではなく理念の衝突に焦点。 (2025-10-03)
個人的記録:猫の命日と「良い悲しみ」
記憶の中の悲しみを“消すべきでない情感”として受け入れる省察。 (2025-09-30)
月曜、Ankiを回す。記憶という怪物を手懐けようとする試みだ。覚えたかどうかなど知らぬ。回したかどうかがすべてである。学問とは修行であり、修行とは作業だ。そう言い聞かせて、私はひたすら「次へ」を押す修行僧となる。
火曜、Sora 2の招待コードが届いた。現実世界に“目”を持つAIとは何か。冷蔵庫の前に立ち、私は唐突に哲学者になる。Googleが目を持ち、OpenAIが倫理を持ち、私は夕飯を持たぬ。AIが世界を観測し、私は冷蔵庫を観測する。ここに何の違いがあるというのだ。
水曜、UXとUIの違いについて思索に耽る。UIとは器、UXとは魂。見た目を磨いても中身が腐れば匂う。人間関係も同じだ。UIばかり気にして疲弊する人々の群れを横目に、私はUXを求めてコンビニのカフェラテを啜る。
木曜、民法の条文を眺めては、権利があるのに行使できぬ人間の悲哀を想う。猫の命日の写真を見て、不意に心が沈む。だがこの悲しみは悪くない。森見文学的にいえば、“美しい憂鬱”というやつだ。 週末、下北沢でカレーを食べた。バナナラッシーを片手に、カレーの辛さと人生の苦さの相似に気づく。謎解き公演にも参加し、現実と虚構の境界を曖昧にした。まるで自分が物語の登場人物になったようだった。
日曜の夜、AirPods Pro 3を耳に挿し、ノイズキャンセリングの静寂の中に沈む。外の世界の喧騒が消えると、代わりに内側の声が聞こえてくる。文化は公共財であり、私の孤独もまたその一部である。
こうしてまた一週間が過ぎた。どこへも行かず、何も変わらず、ただ思索だけが少しずつ濃くなる。気づけば、世界は私の中で静かに回転している。
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